三原リージョンプラザ展示ホール「御調八幡宮と三原市の文化財展」(終了)

 もう終わってるが備忘(しかも2会場開催のうち片方だけ)ひっそり保存

 三原の駅から10分弱、市役所の先図書館とか郷土資料館とかの並びにある複合施設。移動中立ち寄り見学
 八幡宮の収蔵庫との2会場開催なのだが時間が遅く足もナシかつ荒天のため断念、神像や行道面、鎌倉のこまわんこなどは見られず。まあ一部は大神社展の上野場所、龍谷の極楽展で拝観させてもらったので我慢

 すまほで写真など撮ってたら鞄がべしょべしょに


 とはいえ目録上68点のうち50くらいはホール展示室(絵画類10数点は前後期入れ替え)で八幡宮所蔵のものもこっちの展示室に来てるし市内の他の寺社の仏像など素人目にもスグれたものが多くあって眼福
 半券見ると主催が市と御調八幡宮のほか「やはた川自然公園と御調八幡宮を愛する会」とNPOかボランティア団体と思われる名前があり、チラシの口上なんかもも地域による地域のための展覧会というカンジだがしかしそのわりには展示品のキャプションがえらく詳細な気がすると思ったら記念講演の面子なんかもけっこうえらい人がwやはり神社展の影響とかもあるのだろーか。こないだの石清水八幡の展示とか
 地域の寺社、宗教関係の調査とか展示、発表なんかはイロイロ難しいけども罰当たりなトンデモない~触るんじゃない~で封印したまんまより、歴史や先人の智や技術を学んで偲ぶ・神仏の正体を知ったうえで愛スルという道もマチガイではないんではと
 まあ封印したまま大事にしまっておくというのがもしかしたらヒトというイキモノとして冒涜してはイカンものがある的に正しいのかもしれませんが天文地学の知識がここまで来てしまっとる世の中なので智に則して先人を敬し学ぶほうが建設的なのではと個人的には

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 カバーの女神さんは収蔵庫の方なので拝観でけんかった。泣くもんかぐすぐす 
 

 市内の仏像神像、中世以前の、ブの厚い・ナニモノカのオワスというか神威のよーなモノの出てる(電波ではナイ。ナイと思うw)ものが多く。

 御調八幡宮男神坐像(伝藤原百川)上野の神社展に来てた。内側から丸く張った古いタイプのリアル系統は時々ある気がスル。傷みが顕著だがそれとは別にコワイ。謎。スゲー上手で彫り口も上品なのだが 10c

 御調八幡宮のこまわんこ獅子狛犬阿吽、素朴絵入ったようなちょっとアマチュア感(肩から胸あたりの構造理解してない感)と軽さとほっこり感。家の軒先に普通にいそう。鎌倉の川下近世行きて感じ、こういう印象のはこまわんこに限らず割と散見する気がスル。どうでもいいけど顔とか見ると下描き時点では共通なのかもだが彫った人は違うような。室町~南北朝

 釈迦如来、ハコっぽいボディ、盛り上げ文、宋風スメルの院派量産臭。あんまり世の中落ち着かない時期なのに結構どこにでもある印象。それはそれでどういう活動してたのか知りたくもある(素人)南北朝


 僧形と女神の神像二躯(和木薬師堂)坐像、木の反りに合わせた座り具合がごく自然、慣れたカンジの造形でプロっぽい仕事感あるし彩色あともある・彫りも表情も穏和で神威的な空気は後退してるというかバチ当てそうな恐さはナイ(古いのとかで恐いのは技術が高くなくてもコワイ)けど木のタマシイ内蔵感(どんな)両方ともデコの上になにかの紋章かかぶりものかわからん文が彫ってある(同一)素人目にも同じ木から彫りだしてるようなのがわかるが御調八幡の神像と同じくはちまんさんなんだろーか。平安時代

 日光菩薩月光菩薩(善根寺保存会)立像、等身、一木(内刳アリ)で木目、鑿跡とかが結構はっきり、だけどもプロポーションや重心なんかは正確でナチュラル、観音さんではないけど押し出しのある古いタイプの水神さん山神サマ的ボサツな造形(なんぞ)、そっくりそのまま同じ人の作っぽいがビミョーに月光さんの下半身とか胸元とかが日光さんより未熟な気がスル。下半身のヒネリや重心とか。あとモモあたりの衣文なんか日光さん彫った人ならもっと線にニュアンスあるハズではとか。膝下のクセもなんとなく違う感じ、あと横から見たときの厚味に差がある(個人の印象)平安前期

 地蔵菩薩(香積寺)立像、等身。みっちり分厚い重そうなカンジでこれもどっちかってっと古いカミサマ感。平安前期

 宝冠阿弥陀(尾原保存会)坐像、等身、コレも一木の厚さ感、なんか古いお薬師さん的なボリューム感で宝冠阿弥陀でこういうのて見覚えない(素人)筒型。平安後期

 二十八部衆の二躯、立像、50センチ寸、いわゆる鎌倉ふうリアリティ路線、どっから見ても破綻のないすげープロの仕事感。まだマンガっぽさとかデフォルメの強くない上品さ。こうして並んでるの見ると、この頃になると平安ころの古いカンジのと比べると神様感は抜けてるのが実感。にしても超うまい。衣装まわりに若干の簡略化」があるような気がしないでもない(どっちだ)、とりあえず中央の相当うまい人感。
 中国地方北部九州とかはパラパラいかにも中央(やな単語だが)系のが散在してて流通経路というか人とモノの流れだにょ
 御調八幡宮の宝物で銅カが1点出てたけどこれもそういう話な気がする
 でなくば広虫さんがやってきた的な話にはならんだろうという。防府の道真さんがやってきた的話と同じようなケハイ(違うか)

 仏涅槃図、修理銘や表具書付からもと14c末以前のベース(白描?)に彩色、修理が何回か重ねられたのがわかってるモノ。地の傷んだカンジとクリアな線や彩色のミスマッチがなるほど感。基本はそのままで上から描いたり塗ったりのようだ。記録は大事だにょ 

 桃山あたりから近代まで、祭礼や寺社の景観についての絵画資料や文書など複数。こういうのは全国各地に眠ってる気がする。あっても資料館や寺社や個人でしまいっぱなしとか。  

 棟札複数(御調八幡宮、市岡八幡宮)。古いのは15cの記録からある、キレイに残ってイル。当然ちゃ当然かもだが全部に種子、デフォルトで習合

 瀬戸内ルートで普通に畿内からの流れみたいのはあると思うが古い像とか見るとそれ以前のなんつうかココはココ、みたいな部分はあるよにゃーなどと思ったりもスル。あともっと古い時期に反対に西側から流れてきてる要素とか。三原に限らずあっちこっちの古い土地見てると一定の時期までは必ずしも「中央の川下」てのみには当てはまらんような。わからんけど。瀬戸内だけじゃなく山陰も九州も北陸も中部も東北も

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御調八幡宮と三原市の文化財展 
三原リージョンプラザ展示ホール(御調八幡宮収蔵庫と2会場開催) 平成25年9月7日~10月6日


 
 豪華講師陣w日にち合わんので行けなかったけど

 地域の古い文化はどこでももっと掘り起こして自慢すべき(えらそう)歴史はいわゆる中央(やな単語)が小手先で動かしてたワケでわねーし。

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